「今日はやる気が出ない。」
何かをやらなかった理由として、よく使う言葉だと思う。
仕事が忙しかった。
疲れていた。
なんとなく気分が乗らなかった。
もちろん、そんな日は誰にでもある。
毎日100%の状態で生きるなんて、たぶん無理だ。
ただ最近、思うことがある。
やる気があるかどうかと、やるかどうかは、切り離した方がいいんじゃないか。
ということだ。
やる気がある日は、誰でも動ける
何か新しいことを始めた直後は、意外と簡単に動ける。
ジムに入会したばかり。
新しい本を買ったばかり。
副業を始めようと決めたばかり。
資格試験の勉強を始めたばかり。
「よし、やろう。」
そう思えているときに行動するのは、それほど難しくない。
問題は、その気持ちがなくなったあとだ。
仕事で疲れて帰ってきた日。
いつもより寝不足の日。
何となくスマホを見ていたら、気づけば時間が経っていた日。
別に今日じゃなくてもいいか。
明日やればいいか。
そういう日は必ず来る。
むしろ、長く続けようと思えば、やる気がない日の方が圧倒的に多いのかもしれない。
だから、
「やる気が出たらやる」
というルールで生きている限り、積み上げられる量には限界がある。
感情に、行動の決定権を渡さない
僕自身、昔からずっとストイックだったわけではない。
面倒だと思うこともあるし、今日は何もしたくないと思う日も普通にある。
ただ、少しずつ変わってきたのは、
「やりたいか」ではなく「やると決めたか」で考える
ようになったことだと思う。
運動する。
本を読む。
勉強する。
自分の仕事以外のことにも時間を使う。
一度やると決めたのであれば、その日の気分でもう一度意思決定をしない。
これが意外と大事だと思っている。
毎日、
「今日はジムに行こうかな。」
「今日は本を読もうかな。」
と考えていたら、疲れている自分と毎回交渉することになる。
そして大抵、疲れている自分は強い。
「今日は頑張ったから。」
「一日くらい大丈夫だから。」
やらない理由なんて、いくらでも作れる。
だから、そこで考えない。
やる気がある。
やる気がない。
それはそれとして、
やると決めたことは、やる。
少し乱暴だけれど、それくらいでちょうどいい気がしている。
完璧にできない日は、少しだけやる
とはいえ、毎日すべてを完璧にやる必要はない。
ここは勘違いしないようにしたい。
仕事でかなり疲れている日に、無理やり2時間トレーニングする必要はない。
本を50ページ読むつもりだったとしても、10ページしか読めない日はある。
勉強する予定だったけれど、30分しか時間を取れない日もある。
それでいい。
僕が大事だと思うのは、
0にしないこと。
1時間できないなら30分。
30分できないなら10分。
10分すら難しいなら、5分でもいい。
完璧にできなかったことと、何もしなかったことは同じではない。
むしろ長い目で見ると、
「今日はちゃんとできないからやめよう」
という考え方の方が危ない。
100点を取れない日は0点にする。
これを繰り返していると、習慣は簡単に途切れる。
反対に、
今日は30点。
明日は80点。
その次の日は50点。
それでも続いていれば、ちゃんと前に進んでいる。
人生は一日の点数ではなく、もっと長い時間で見た方がいい。
自信は、自分との約束を守った回数
人との約束は、できるだけ守ろうとする。
待ち合わせの時間。
仕事の締め切り。
誰かに頼まれたこと。
それを簡単に破る人は、信用されなくなる。
でも不思議なことに、
自分との約束だけは、かなり簡単に破れてしまう。
「明日から早く起きよう。」
「今月から運動しよう。」
「今年こそ勉強しよう。」
誰かに迷惑がかかるわけではない。
怒られるわけでもない。
だから、やらなくても表面上は何も起こらない。
ただ、本当は少しずつ何かを失っているのかもしれない。
それは、自分に対する信用だと思う。
決めてもどうせやらない。
始めてもどうせ続かない。
無意識にそう思うようになると、新しいことを始めるときにも、自分を信じられなくなる。
逆も同じだ。
小さくても、自分で決めたことをやる。
今日もできた。
昨日もできた。
先週も続けられた。
そんな証拠が積み重なっていくと、
「自分は、決めたことをやれる人間だ」
と思えるようになる。
自信というのは、根拠なく自分を肯定することではなくて、
自分との約束を守ってきた回数から生まれるものなのかもしれない。
一回の努力では、ほとんど何も変わらない
少し残酷だけれど、
一回頑張ったくらいでは、人生はほとんど変わらない。
一回ジムに行っても、身体は変わらない。
一冊本を読んでも、急に賢くなるわけではない。
一日勉強しても、英語が話せるようにはならない。
一日副業を頑張ったところで、翌日に大きなお金が入ってくるわけでもない。
だから、継続することは難しい。
今日の努力と、その結果の間に、かなり距離があるからだ。
頑張ったらすぐ結果が出るのであれば、たぶん誰でも続けられる。
でも現実はそうではない。
今日やったことの意味が分かるのは、半年後かもしれない。
一年後かもしれない。
もっと先かもしれない。
それでも、今日やる。
成果が見えない時期にも、淡々と積み上げる。
結局、大きな差になるのはこういう時間なのだと思う。
「頑張る」より「普通にやる」
最近は、「頑張る」という感覚すら、少し違う気がしている。
毎回気合いを入れて、
「今日も頑張るぞ。」
と思わないとできないことは、長く続けるのが難しい。
歯を磨くときに、気合いを入れる人はいない。
お風呂に入るときに、モチベーションを高める必要もない。
ただ、やる。
本当に強い習慣も、それに近い状態なのだと思う。
努力を特別なイベントにしない。
淡々と生活の中に置いてしまう。
トレーニングすること。
勉強すること。
考えること。
自分の未来のために時間を使うこと。
それらが、
「頑張った日にやること」
ではなく、
「普通にやること」
になったとき、人はかなり強くなる。
未来は、何でもない日の積み重ねでできている
人生を変えるというと、大きな決断を想像する。
転職する。
起業する。
海外に行く。
結婚する。
何か大きな挑戦をする。
もちろん、そういう瞬間も人生を大きく動かす。
でも、それと同じくらい、
何も起きていない普通の一日をどう過ごすかが大事だと思う。
仕事から帰ったあとに30分だけ本を読む。
疲れていても少し身体を動かす。
スマホを見る時間を減らして、自分のやりたいことを進める。
そういう小さな選択は、誰にも見られていない。
褒められることもない。
SNSに載せるほどのことでもない。
でも、半年後、一年後、数年後の自分をつくっているのは、
案外そういう時間なのだと思う。
未来の自分にBETする
未来の自分にBETする。
この言葉には、大きな挑戦をするという意味だけではなく、
今日の自分が、未来の自分のために何を選ぶか
という意味もあると思っている。
今日は疲れた。
やる気もない。
別に一日くらい何もしなくても、人生は変わらない。
たしかに、その通りだ。
今日一日で見れば、ほとんど何も変わらない。
でも人生は、そんな「今日」の積み重ねでできている。
だから僕は、
やる気がある自分よりも、
やる気がなくても少しだけ前に進める自分を信じたい。
派手じゃなくていい。
完璧じゃなくていい。
今日できることを、淡々とやる。
その積み重ねが、いつか振り返ったとき、
「あの頃の自分がやっていてくれてよかった」
と思えるものになる。
未来の自分にBETするというのは、
きっと、そういうことなのだと思う。

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